どうもハジメです。
今回は、僕の大好きな作家:伊坂幸太郎さんの「フーガはユーガ」を読み終わったので、感想等について書いていきます。
箇条書きではありますが、ネタばれ的要素も含まれているのでまだ読んでいない方はそっとブラウザを閉じてください…
あらすじ
DV家庭に暮らす双子が、ある時不思議な能力に目覚める。
それは、ある条件が重なると二人の身体が入れ替わるというもの。
所謂”テレポーテーション”。
子供の時に、その不思議な能力を使って悪さをしたり人助けをしたりといった事をTV関係者に語りだすが・・・
感想
ネタばれなし
- もう少し伏線あったらよかったなと思いつつ、いつも通りの見事な伏線回収や最後の怒涛のラッシュが気持ちいい。
- 小玉の話は苦しかった
- 子供時代のDVがただただ可哀そう。子供いる人はDV描写は見ていて辛いかも・・・僕は辛かったです。
- ハルカさんとハルトくんもただただかわいそう
- 風我と優我の子ども時代以外にも虐待描写や残酷な事件があり、内容が子供に関する事なので辛い
→子供のいる人は心して読んだ方がいいです。 - 終盤で、風我が「あの時は優我だったから」といった言葉の意味がイマイチ良く分からない
- 弱いカードでも使い勝手によっては強くなるという言葉が何に対しての暗喩かが分からなかった。
→恐らく展開、キャラクター的にワタボコリの事だと思いますが
ネタばれあり
- まさかの目の前にいる高杉が・・・!?
- 犯人にこちらの素性がばれた理由が不明。
→PCを触ろうとしているところを見られたか、小玉の話しで感づいたかのどちらかか? - 途中で描写される高杉の表情にも意味があるとは、、、さすが伊坂幸太郎さんっす!
- 展開的に風我が生きていることは想像ついたものの、まさか優我があんなことになるとは
- 最後にワタボコリが勇気を振り絞って優我を助けに行くもののそれがあだとなり、優我がなくなってしまう。もし救出に行かなければ、出血も抑えられ普通に入れ替わって逃げれたのでは?と思ってしまう。つまり最後ワタボコリは勇気を振り絞ったけど結果的に余計なことをしてしまったように思う。でも、ワタボコリがいないとセキュリティ解除できなかったのでは?と思うとそうでもないのかなと。
考察(ネタばれ大いに含む)
ラストは、悲しい事に双子の片方(優我)がなくなってしまうのですが、物語は亡くなった方の視点から語り続けられます。
というか、最初から優我視点で話していたのですけどね。
どうして亡くなった方から物語が語られるのか?について考察していきます。(これ以降は本を読んだ人という前提で書いていきます。)
考察1
ラストシーンの入れ替わりの絶妙なタイミングで優我の肉体が動かなくなってしまった事により、中身(精神)だけ入れ替わる事になった。
しかし、優我は肉体は既に機能していないため風我の精神は入る所を無くし自分の身体に戻ってきてしまった。
つまり、風我の体の中に優我の精神のみが入ってしまった状態なんじゃないかと考えております。
考察2
もう一つの考察として、入れ替わりの際に肉体は入れ替わって無かったという説も考えられるかと思います。
身に着けている帽子や、ブレスレット時計等の無機質と精神のみが入れ替わっていて、肉体そのものは入れ替わっていなかったという事ですね。
こちらだった場合、考察1にも繋がって考察1も説得力を増すかな思っております。
まとめ
伊坂作品の特徴でもある、伏線の改修並びに個性的なキャラクター、最後の息もつかせぬ怒涛の展開は健在ですのでハラハラしながら一気に読めるかと思います。
ただ、いじめや暴力の描写もあるので、そういったものが苦手な方にはあまりお勧めできないかなと思います。
2019年本屋大賞にノミネートされた本作品!!!
是非、ご一読下さい。
また、本書の考察等あるかたは是非コメントにジャンジャンコメント残していってください!
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